6.甲状腺疾患診察上のポイント -2- 
B.疾患診療上のポイント
主要な甲状腺疾患を持っている患者を診療するに当たって、知っておれば都合がよいと思われる事項をポイント的に紹介する。これら以外にもいろいろと問題はあると思われるが、紙数の関係から割愛する。
1.バセドウ病:

表6-4診断確定時の患者さんへの説明のポイント
◇病気の本質(自己免疫-体質)を理解させる
◇服薬の意義と副作用をともに説明
◇正確に服用すれば、早く治ることを知らせる
◇安定した後も1ヵ月1回の受診と2ヵ月に1回の検査が必要であることを納得させる。

治療:治療(または自然経過)によって病態は寛解する。
治療には抗甲状腺剤、手術および131Iの3主要療法がある。
図6-5日本甲状腺学会評議員90名の回答によるバセドウ病3主要治療法の選択比率
現在本邦では後二者の利用が減り、患者の98.6%に抗甲状腺剤が投与されている。
(1)TSHレセプター抗体(TRAb):
標識TSHの結合阻害活性としての高感度TRAb、TBII*、甲状腺刺激活性としてのTSAb、TSBAb(低下症が主)の4つの抗体が測定されるが、現時点でどの様に利用すべきかをまとめた。なお、個々の抗体測定の意義については前項(5.甲状腺に関する検査)に詳述したので参照いただきたい。
*TBIIは第1世代の液相法を指す。

表6-5 When to measure TRAbs 2006
・活性型バセドウ病の診断時(症状、眼突、血流豊富な甲状腺腫)・・・高感度TRAb、TBII
・TBII陰性時・・・甲状腺摂取率検査(多くの例では高感度TRAb、TSAbが陽性)
・バセドウ病のATD治療経過、寛解判定・・・高感度TRAb、TBII
・寛解時での将来の再発予測・・・高感度TRAb
・中毒症状のみで眼突や血流豊富な甲状腺が診られない時・・・TSAb、高感度TRAb
・原発性甲状腺機能低下症の性状分析に・・・高感度TRAb、TBII
・バセドウ病歴のある人の妊娠時・・・TSAb、高感度TRAb
何時、何を意図して測定するか?
バセドウ病に特異性が高く、検出率も高く診断上有用であることは周知の如くである。
抗甲状腺剤投与中に抗体価は減少する。治療効果がよいときには大体1年後までにほぼ正常化する。従って、この時点でTBII (高感度TRAb、TSAbは感度に優れ、陰性にならないものが多く、寛解の判定に不都合な場合がある)を測定し、なお高値を示す場合は投与量が不足でないか、服薬は正確に行われているかを検討する。不足の場合は増量する。腺腫が大きく、日常生活に支障を来す臨床症状があるときには、他療法への変更を考える。
バセドウ病眼症ではTBIIは正常または低値を示すが、高感度TRAb、TSAbは亢進時のレベルに近い高率かつ高値を示す。
破壊性甲状腺炎とバセドウ病の鑑別には摂取率検査が有効であるが、高感度TRAb、TSAbも特異性が高く有用である。
機能低下症の一部にはTSBAbによるものがあり、これを鑑別することは診療上有用でありTBII、高感度TRAbで代用できる。妊娠中に高感度TRAbの抗体価が高いときは、出産後新生児に機能障害を来し得る(TSBAb、高感度TRAb、TBII: 一過性機能低下、TSAb: 一過性機能亢進)し、TSAb陽性妊婦は出産後にバセドウ病を発症しやすい。

(2)バセドウ病の抗甲状腺剤療法のポイント
本邦ではことに最近では抗甲状腺剤療法が広く実施されている。本邦ではより長期的な治療が一般的と思われる。バセドウ病の治療の現状、さらにT4併用療法の意義を明らかにするため、以下にいくつかのポイントについて紹介する。

図6-6 バセドウ病に対する抗甲状腺剤とT4(T3)の併用療法の経験(日本甲状腺学会評議員アンケート調査から


本邦バセドウ病患者に対する抗甲状腺剤の効果
欧米に比して効果が乏しいとする人が多く、これは環境的要因を含めた人種差に由来すると考えられている。
環境的要因としては、本邦の大きな特徴としてヨード(海草類、昆布だし)の過剰摂取が注目される。ヨードの一日必要量は約200μgであるが、本邦では平均摂取量が2mg/日を越しており、ことに最近は健康食品の一つとして賞用されて一層増加しており、1日量が10mgを越すことも稀ではない(京大病院普通食の分析から)。
バセドウ病寛解の指標とT4併用療法の意義
表6-6 甲状腺剤療法を中止する理由
TSHレセプター抗体の消失
甲状腺腫の縮小
T3抑制試験陽性
血清TSHの上昇
その他*
抗甲状腺剤投与期間
82
49
33
30
16
12
*甲状腺剤の最少維持量でコントロール良好が主なもの
TBII(TSAbは不適当)が消失し、維持量下でTSHが正常に検出されることが必要条件であるが、これだけを指標として治療を中止した場合の再発率は5年後までに30%以上に上る。
臨床的には甲状腺腫が縮小することが重要な指標となり、これを加味すれば再発率は25%程度と思われる。
T3抑制試験は、抑制がかかればその時点では寛解していると云ってよい。しかし、T3抑制を確認して治療を中止しても再発率は約15%程度と思われる。最近では煩雑なためT3抑制試験はあまり行われなくなった。

 その時点では寛解していても、例えばウィルス感染などで免疫系が刺激されれば再悪化するわけで、自己免疫という疾患の本質上如何ともしがたいものと言えよう。
なお、筆者はバセドウ病の症状と季節の関連を考慮し、寛解の判定は晩秋から早春の間に行い、温暖時には抗甲状腺剤を中止しない。また、中止に際しては少なくとも次の夏を越すまでは厳重なヨード制限を行うよう指導している。抗甲状腺剤でヨードの利用が抑えられているのが、中止後にホルモンの材料が多く摂取されれば不都合と考えている。

T4併用療法の意義
TRAbが消失せず、TSHも低値に留まる場合には抗甲状腺剤を増量するが、増量によってTSHが上昇し、これに反応して甲状腺腫が大きくなることが屡々経験される。
筆者は、甲状腺腫がある程度大きくてTRAb陽性、TSHが高値の場合、十分量の抗甲状腺剤を投与するとともに、25〜50μgのT4(チラージンS、1/2錠、1錠)を併用してTSHの上昇、ひいては甲状腺腫の増大を抑える。
T4併用療法は寛解の誘導への効果は疑問であるが、甲状腺腫の腫大を抑える意味で有効と考えている。
TRAbが低値または陰性になり、TSHも検出されるが、甲状腺腫がなお大きく、T3抑制がかからない症例が一部にある。何故甲状腺腫が残存するかは不明であるが、この様な甲状腺腫には毛細管拍動を触知するものが多く、血流の増加が伺われる。
筆者は、維持量の抗甲状腺剤とともに、リンデロンを1.5mg(3錠) 2週、1mg 2週、0.5mg 4週、0.25mg 4週の3カ月投与を試行した。少数例の経験ではあるが、甲状腺腫の明らかな縮小が全例に見られ、試行直後に寛解を確認したものも一部にあり、副作用はほとんど見られず、ケースを選んで試みるに値する方法と思い紹介した。


(3)バセドウ病の手術療法と131I療法の適応
表6-7抗甲状腺剤療法から
他療法へ変更する主要な理由
抗甲状腺剤の副作用
患者の年齢及び社会的背景
甲状腺剤の効果不十分
規則的に正しく服用できない
甲状腺腫が縮小しない
TRABが高値で持続
99%
57%
52%
45%
42%
27%
上表に示すような理由で抗甲状腺剤から他療法に変更されるが、手術を選ぶか、131Iを用いるかには若干の差異がある。
手術療法:筆者は、若い人で抗甲状腺剤の短期治療で寛解が望めず、社会生活が制限されるような場合には、1〜2年の治療後に手術を積極的に勧めている。多くの人、ことに女性は最初は強く抵抗するが、将来の妊娠・出産へのバセドウ病の影響を説明することによって概ね了承される。
手術を受けた人は、仮に低下症に陥っても、手術したことを喜ぶ人が圧倒的に多く、病気を抱えながら社会活動を活発に行うことが、我々の予想以上に苦痛であることが伺われる。維持量の抗甲状腺剤投与下でよいコントロールにあっても、1〜2カ月毎に医家を訪れ、高価な検査を受けねばならないことも、患者にとっては経済的にも時間的にも大きな負担であろう。

131I療法:一時(昭和30年代後半の頃は、京大病院ではバセドウ病患者の90%くらいが131I療法を受けていた)に較べると著減しているが、回答者の多くが今後は増加するとの予測を示している。現に、米国では患者の約70%が本法で治療されており、安全性と経済性が高く評価されている。ただし、131I療法では晩発性機能低下症が10年後で約1/3に見られることと、本邦の一般通念としての核アレルギーが強いことから患者に納得してもらうのが容易ではない。筆者は、131I療法を緊急避難的なものと考え、抗甲状腺剤の副作用例、中年以降で甲状腺腫が大きく早急な寛解が望めない場合に、低下症は覚悟してもらった上で投与している。なお、本邦で現在までに本療法を受けた患者は7〜10万人くらいと思われるが、白血病が少なくとも6例に発生している。この数値は自然発生と変わらないとされるが、ほとんどの例が投与後1年以内に発症し、しかも急性白血病であるので無関係とは云えない。当然のことながら、妊娠・授乳中の婦人への投与は禁忌である。若年者への投与は、本邦では優れた外科医が多く手術が優先するが、米国では安全性を評価して10歳代の患者にも積極的に本療法が実施されている。

(4)バセドウ病と妊娠・出産
バセドウ病患者、ことに適齢期の婦人の診療においては、妊娠・出産が重要な問題であり、正しい知識を持って対応することが必要である。
1)バセドウ病患者は受胎しにくい
未治療のバセドウ病患者には生理不順や過少月経が見られ、受胎しにくい。男性不妊もある。
従って、挙児希望のある患者は一般に受胎調節は行っておらず、治療開始早々(抗甲状腺剤大量投与中)に妊娠することが少なくない。抗甲状腺剤の大量投与は、動物実験では催奇性が知られており、問診で挙児希望の有無を尋ねることの必要性はここにある。
治療:筆者は、挙児希望を確認した場合、治療早期の妊娠を控え、抗甲状腺剤3錠/日以下に減量してから受胎を予定するよう指導している。

2)妊娠中の管理
バセドウ病患者の胎児喪失率(流産・死産)は25%とされ、対照の8%の約3倍とされる。マイナーなものが多いが児に奇形が見られる率も高く、これには抗甲状腺剤の影響よりも機能異常の影響が関与すると考えられる。機能亢進は勿論、(治療による)機能低下もよくないとされる。
治療:
妊娠時、ことに早期の機能管理を的確に行うことが必要である。なお、妊娠初期におけるRI投与は当然禁忌である(後期においては必要なれば短半減期のもの:99mTcや123Iは使用してよい)。
妊娠中の機能管理は、機能状態を見ながら慎重に対応することが必要である。
抗甲状腺剤の投与量については、胎児の器官が完成する20週頃までは大量投与は好ましくないと思われる。初期から慎重な管理が必要な所以である。
妊娠後期、ことに出産前には必要十分な抗甲状腺剤を投与して、機能正常下で出産を迎えることが望ましい。後期に初めて機能亢進が発見されたときには、筆者はためらい無く常用量を投与する。
診断:
@甲状腺ホルモン
必然的にT4が上昇し、単独では機能の指標とならない。
(妊娠中11週頃からTBGが増加するため)
妊娠時の機能観察には、TSH・FT4・FT3を用いる。
A甲状腺刺激物質
妊娠中・後期には胎盤から分泌されるHCGが甲状腺を刺激し、甲状腺腫大や若干のFT4の上昇が見られるが、臨床的に問題になるほどではない。
妊娠経過中にTRAbを測定しておくことは、出産後の患者および新生児の機能異常を推定する上で有効である。妊娠患者のTRAbは胎盤を通過して胎児に影響をもたらしうる。TSAbであれば機能亢進が、TSBAbの場合は機能低下が、ともに一過性に起こりうる。本邦では後者がより注目され、新生児バセドウ病は少ないようである。また、バセドウ病が寛解状態にある場合でも、妊娠中にTSAbが検出されれば、出産後にバセドウ病が再発しやすいとされ、出産後の経過を観察する必要がある。
3)出産前の管理
出産を間近に控えて高度の機能亢進を認めた場合は、バセドウ病クリーゼに準じて積極的に治療を行う。母体の安全を図ることが肝要であり、やむを得ない場合は児を犠牲にするくらいの心構えが必要である。
治療:
出産当日におけるβブロッカーの投与は児に呼吸不全(ARDS)を招来する危険があるとされ、控えるべきである。
一般的に云って授乳は可能である。筆者は抗甲状腺剤2錠/日程度でコントロールされている場合は授乳に支障無いと考えている。ただし、メルカゾールは乳汁への移行率が高く、チウラジールに変更する。勿論、出産時に抗甲状腺剤が大量に投与されている場合には、授乳によって児の甲状腺機能が抑制され低下症になる。出産直後に児の甲状腺機能をチェックして対応すべきである。逆に、児に機能亢進が明らかなときには母親に抗甲状腺剤(メルカゾールがよい)を投与して、授乳を介して治療する。母親に対して過量になるときには甲状腺剤(チラージンS)を併用する。

4)出産後の管理
出産後の問題点として、母親が児の世話に忙殺され服薬や通院を怠ることが少なくない。
治療:
母親には一過性組織破壊やバセドウ病の再発が2〜3カ月後に見られうることを出産前に説明し、正確な服薬と出産2カ月後までの受診の必要性を指導する。
バセドウ病の遺伝性も良く尋ねられることである。自己免疫性甲状腺疾患は、患者6〜7人に1人くらい家系例がある。現在までのところ、遺伝性要因はHLAを中心に広く検討されているが、単一で明瞭な関連を示唆するものはなく、多因子性と考えられる。